
ポップチャイルド代表
水野久美子さん
幼稚園教諭から起業家、そして保育園経営者へ。現場に寄り添い続けた経験をもとに、組織と人の成長を支援するポップチャイルド代表・水野久美子さん。現場を知り、人を育て、組織を導いてきた中で培った“人と組織を育てる知恵”についてお話をうかがいました。

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幼稚園の先生から起業家へ
きっかけは、10人の子どもたちとの約束
—— まず、これまでのご経歴を教えてください。
大阪市で生まれ、2歳から茨木市で育ちました。両親は浜松出身でしたが、父の仕事の都合により大阪で暮らしていました。万博記念公園が遊び場で、太陽の塔に見守られながら友だちとドッジボールをしたり、シロツメクサで首飾りをつくったり、自然の中を走り回る活発な子どもでした。

—— 幼稚園教諭の道を選ばれた理由は?
自分の通っていた幼稚園の先生が本当に素敵な方で、「私もあんな先生になりたい」と思ったのがきっかけです。両親からは「給与は低いけれど、それでもいいの?」と心配もされましたが、それでも子どもの頃からの憧れを貫き、浜松市の法人に就職しました。
その法人では、当時7つの幼稚園と5つの保育園を運営する大きな組織で、私は本部勤務。給料は決して高くなく、持ち帰りの仕事も多く、有給休暇も知らないほど働きづめ。子どもたちは本当にかわいいんですけれど、愛情だけでは務まらない責任の重さを痛感しました。

—— その後、幼稚園教諭を退職されますね。
父が脳梗塞で倒れ、介護が必要になり、時間的な余裕を求めて退職しました。その後、脳の仕組みを生かし子どもの能力を引き出す民間の教室に転職。私が持っていた幼児教育の知見と、脳科学のノウハウを融合させたカリキュラムづくりを担当しました。ところが、わずか3年ほどで教室が閉鎖されることになったんです。
保護者から「水野先生に続けてほしい」と求められ、迷いながら始めたのが、幼児教室「ポップチャイルド」でした。当時、20代後半で、独立心や起業精神からではなく、10人の子どもたちへの責任感と、その保護者からの要望に応えたいという思いだけで走り始めました。
「預かる」から「育てる」へ
“人を大切にする”園づくりの挑戦
—— 起業当初は、かなり苦労されたのでは?
月の売上はわずかなもので、輸入教材や賃貸料などで初期投資もかさみ、経営はマイナスの連続。持ち出しの状態が続きました。それでも、「この子たちにレッスンを」という気持ちだけで事業を続けていました。宣伝する余裕はありませんでしたが、口コミで少しずつ生徒が増えていき、あるとき、保育園の園長先生が見学に来られ、「うちでもレッスンをしてほしい」と声をかけてくださったんです。これがきっかけで、保育園に出向いて教育プログラムを提供するようになりました。

—— そこから事業が拡大していくんですね。
保育園が「託児」だけでなく、「教育」を取り入れ始めた黎明期で、私の教育プログラムは、幼稚園との差別化を図りたい保育園のニーズとも合致しました。提供したプログラムは好評を博し、生徒は20人、30人と徐々に増え、2年もたたないうちに、他の大手社会福祉法人からも依頼が舞い込んだんです。スタッフを雇用し、複数の保育園へ出向する体制も整え、20年以上にわたり外部講師としても活動を続けました。

—— その後、なぜ保育園の経営へ?
40代半ばの頃、ある医療法人から「看護師が安心して働けるよう、職員向けの院内保育園を設立するからアドバイスしてほしい」と依頼されました。その後、園の経営と運営もお願いしたいと言われ、最初はお断りしたんです。命を預かる責任の重さ、経営の経験もないですから。しかし、周囲からの強い説得もあり、ポップチャイルドとして経営と運営を引き受けることを決めました。
運営は想像以上に厳しかったですね。認可外保育園のため、国の給付金ではなく委託料で運営しなければならず、当初は持ち出しも多くありました。朝早くから暗くなるまでの長時間シフトとなるため、保育士の確保は特に苦労しました。

—— やがて、2つ目の園を設立、運営されるのですね。
1園目の経営条件を改善するために、小規模認可保育園を自ら立ち上げました。人員配置や食育など、認可基準の具体的な運営実態を医療法人に示し、交渉材料にしたかったんです。その結果、1園目の条件が改善されました。でも、2つの園を同時に管理・運営するのは本当に大変で、特に小規模園は人員配置の効率が悪く、スタッフの妊娠・出産など、ライフステージの変化への対応が大きな課題でした。
保育園経営が教えてくれた3つの原則
女性ならではの“共感で支える”マネジメント
—— 経営を通じて、学ばれたことは?
保育園経営を通じて学んだのは、3つの原則です。1つ目は「人を大切にすること」。子ども、保護者、職員など、関わるすべての人を尊重することが事業の根幹となります。2つ目は「経営と現場のバランス」。経営の安定に必要な園児の確保と、質の高い保育環境の維持とのバランスを取ることが、経営者の最も重要な役割といえます。そして3つ目は「持続可能な熱意と愛情」です。困難な状況でも続けられるのは、保育士としての志や、子どもたちへの愛があるからこそ。

—— 女性経営者であることは強みになりましたか。
起業時は男性経営者が、仕事と家庭は別だと考える傾向がまだ強かった時代でした。子どもが急に熱を出したスタッフには「なんで休むんだ」ではなく、「辛いときこそ、親がそばにいてあげて」と伝えるなど、スタッフの働きやすさを重視する視点は、女性経営者ならではといえるかもしれません。
—— とは言え、代わりをするスタッフの理解も必要ですよね。
スタッフの間で不安や不満が出たときは、「いつ自分がそうなるかわかんないよね」と伝え、理解してもらい、支え合う職場環境の重要性を丁寧に説明し続けました。私自身が幼稚園勤務時代、有給休暇の存在すら知らなかった経験も踏まえ、有給休暇を奨励し、必要なら私が現場に入ってシフトの穴を埋めることもありました。

—— 順調にいっていた保育園を事業譲渡された理由は?
3つあって、1つは、浜松市の待機児童がゼロになり、保育園不足という社会課題解決の一翼を担うという当初の目的が果たされたため。2つめは、コロナ禍になり業界全体が疲弊し、再び業界全体を外からサポートする必要性を感じたためです。3つめに、母親の介護や看護の時間をとりたかったこと。これらの要素が重なり、事業譲渡を考えるようになりました。
—— どのように譲渡先を決めたのですか?
「大手M&A専門会社」「社会福祉法人」「同業の大手営利法人」を比較検討しました。私が重視していたのは、金銭的利益を得るよりも、「自分が抜けること以外は、運営は何も変わらないこと」を最優先し、譲渡価格ゼロで同業大手への譲渡を選びました。手続きがスムーズで、現場の混乱が少ないことも決め手になりました。私がいなくなっても、子どもや保護者、スタッフにとって、これまでと変わらない保育園であること。それが何より大切でした。譲渡を終えたときは、心から安堵したのを覚えています。

「自己受容」から始まる、人と組織の成長
—— 現在は、アドバイザリーとして活動されていますね。
はい。保育園の設立・運営・経営・譲渡のすべてを経験した立場から、保育業界や企業の経営者の相談に乗ったり、組織づくりをサポートしたりしています。一族経営が多い保育業界では、内側の論理に偏りがちです。外部だからこそ客観的に助言できると考えています。大学教授が理論を語るとしたら、幼稚園教諭、能力開発教室の講師、保育園の園長と経営者として、実際に現場で体験した具体的なエピソードを交えて話せるのが私の強みです。
保育園の外部講師をしていた頃、浜松商工会議所青年部で、初の女性会長を務め、日本商工会議所青年部では副会長を務めました。男性経営者が多い商工会議所の世界では、子育てにおける父親の参画の必要性を提言したり、社会参加と育児の両立に葛藤する女性たちの問題を目の当たりにし、浜松市へ政策提言も行いました。

—— それらの経験が、活動の軸にある「自己受容」につながっていくのですね。
「自己受容」とは、個人が自分自身を認めることで対人関係が改善し、幸福感が高まるという考え方です。これをテーマに挑戦した日本商工会議所のビジネスプランコンテストでは、準グランプリをいただきました。現在、この知見を生かし、一般企業や教育・福祉機関の経営者や従業員、企業の新人研修、高校生のキャリア教育など、さまざまな方を対象としたアドバイザリー業務や研修を行っています。
—— 今後の展望を教えてください。
保育・教育の支援に加えて、発達に課題のある子どもと「共存」する環境づくりを広げたいですね。幼い頃から多様な人たちと共に過ごし、お互いを自然に受け入れられる環境を整えることが、社会の摩擦を減らすと考えています。私たち大人に求められるのは、一人ひとりの特性をしっかりと見て寄り添うこと。それを保育現場・企業・地域に根づかせる支援を続けたいですね。子どもを支えることは、社会を支えること。それが、私の変わらない信念です。


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